2011年4月10日 仲間や協力者と集めた食料や燃料、生活用品を満載にした4トントラックで初めて、小渕浜に入った日、どこに支援物資を届けていいか判らず、やっと見つれた小渕浜災害対策本部。。。出てきたの波険しい顔をした小渕浜の漁師たち。。。知らない人から物はもらえねぇと、拒否されたものの、託してくれた仲間からの物資、置いていかなければ帰れない。。。。一生懸命お願うけいをしているところです。
その後、物資は受け取ってもらえました。。。。帰りに、表浜漁協の組合長は、「たくさん持ってきてくれてありがとう」と言って見送ってくれました。
それが、きっかけで小渕浜に通うようになりました。
2012年5月21日 小渕浜唯一のコンビにCOCOの駐車場には、震災の翌日、産気づいたお母さんがお産をするために、日赤石巻病院からヘリが飛んできて、この駐車場に着陸した。ヘリコプターに着陸場所がわかるように、ペンキで、赤ちゃん生まれる日赤へHELPと書かれた。
その赤ちゃんは、無事に生まれました。
駐車場には、当時たくさん来ていた自衛隊の救難車両車が停まっていました。
2011年7月12日 放射能汚染の問題がわからない時期でしたが、ここで種付けをしないと1年間を棒に振ってしまうので、不安はあるものの種付けに踏み切る事にしました。
牡蠣の種付けは、岩場などについている岩牡蠣から抱卵が始まると1~2週間程度海中を浮遊するのですが、それをホタテガイの貝を海中につるして、浮遊している種を付着させます。
しかし、震災で付着させるホタテガイがなかったので、瓦礫の中から拾って仕掛けを作りました。
2011年7月18日 震災後初めて、お神輿が小渕浜を回りました。
瓦礫の中を回るお神輿を、被災者の方は嬉しそうに見ていました。
写真は、ユキヒロさん
2011年7月18日 3月15日ぐらいから、ワカメの収穫が始まる予定でしたが、すべて津波に飲まれてしまいました。収穫間際のワカメは全滅、近代養殖のために道具をコツコツそろえていましたが、それもすべて失いました。
7月に海に流されてしまったイカダやロープをガット船でつまみ、その瓦礫が港に一時保管されました。
2011年7月31日 毎年7月31日には石巻市の旧北上川を中心に、海や川の災害が起こらない事を祈願する「川開き」祭があります。たくさんの方が亡くなられたので、例年の3倍の灯籠が流されました。
たくさんの人が手を合わせていました。小渕浜の写真ではありませんが、アップしました。
2011年8月11日 北海道の船会社が、70mぐらいあるガット船を持ってきてくれた海に流れた養殖の瓦礫をつまんで、港に上げてくれました。瓦礫の大きさは、左手前の人とくらべると、その大きさがわかると思います。
2011年9月18日 震災の影響で注文した船が出来ず、10月半ばから始まるワカメの種付け用の船がないハルトさんに、ゆっち(大沢さん)さんが陸に上がった俺の船なら、あげるよと話す。
熱い男の友情を感じたシーンでした。
しかし、その船は山の中。。。
2011年9月18日 船は、防波堤の奥にあり、工事車両が入る事が出来ない為、どこの業者も船を山から引き出す仕事を受けてくれませんでした。この船がないとワカメの種付けが出来ません。あきらめかけた時、ボランティア団体の代表に何気なしに話をすると、ボランティア団体の人が、「みんなで引っ張りませんか?」当日来ていた人を集め、200名近くの人で、船を引っぱり出しました。
引き出した時は、その場にいた人、全員が歓喜の声をあげました。
人の力を、あらためて認識した瞬間でした。
2012年9月19日 ハルトさんの被災した自宅前で撮った写真です。今はこの家も壊れてなくなってしましました。
2011年10月26日 津波で小渕浜の2/3の船が流されたり、沈んだりして失われました。
船がないと漁が出来ない。
船がなくなってしまった漁師を気の毒に思った各地の漁師は、使わなくなった船を東北に送りましたが、漁の形が、東北の漁とあわず、残念ながら使うこともなく、小渕浜に悲しげに横たわっていました。
2011年11月19日 震災後初めて種付けしたワカメの成長具合を調べるために、小渕浜の沖のワカメのイカダの中を潜りました。種付けしたワカメは、5cmぐらいでしたが、1ヶ月後には25cmに成長していました。